しかも長文。
興味持てなさそうならスルーしてください。
学生の頃、学校の近くのアパートに住んでいた。
その頃はいわゆるラーメンおたくだった。
雑誌やテレビでラーメン特集があるとチェックして食べに行く。
まだとんこつ醤油や魚介とんこつもない時代
(その辺については今回気づいたこと・思うところあり。そのうち)。
20年ぐらい前、比較的初期のラーメンおたくだったのではないだろうか。
インターネットもまだない。情報源はテレビや雑誌がメイン。
あとは近しい人の口コミと自分の足だけが頼り。
アパートの近所、都電の駅の近くに新しいラーメン屋の工事をしていた。
オープンしたら行ってみようと楽しみにしていた。
そしてオープンの日。
近所の商店街の人たちでごった返す店内で食べたラーメンは
予想をはるかに上回る美味しさだった。
幅が広めの縮れ麺はふんわりとした噛みごたえがあり、
スープはいろいろな食材の滋味が溶け出したじんわりと味わい深いもの。
チャーシューは小ぶりだけどバラ肉を柔らかく煮込んである。
ネギとかいわれの刻んだのが入れ放題。
材料にこだわっているのだろうということが伝わる一品だった。
並ばなくても食べられる美味しいラーメン屋が近所にできて、
おれはちょくちょく通うようになった。
店の親父さんとはそんなに話したりしなかったけれど顔を覚えてくれた。
ラーメンはじんわりと美味かった。この店のラーメンが好きだった。
徐々にオープン景気も落ち着いてきて、店は空いていることが増えてきた。
バイトの帰り、夜遅めに食べることが多かったような気がするので
そのせいもあったのかもしれない。
ネギと刻みかいわれは卓上からなくなっていた。
それでも相変わらずラーメンは味わい深かった。
ある夜寄ると、またお客さんは誰もいなかった。
一人きりのカウンターで、供されたラーメンをすすって驚いた。
味が変わっている。
スープの味がまるで違った。
食材の滋味ではなく化学調味料の人工的な味がした。
カウンターの奥、親父さんは目を合わせようとしなかった。
それ以来、なんとなく足が遠のいてしまった。
そしてしばらく経ったある日。
テレビのラーメン番組でその店が出ていた。
親父さんがイタリア帰りだということ、
アクを取るのにみかんの皮を使っていること、なんかを話していた。
久しぶりに食べたいと思った。
次の日、店は満員だった。テレビ効果だ。
おれの顔を見た親父さんは、「テレビ見たから来たのか」と言ったような気がした。
この1月11日の記録を見ると、スープについて「段々カツオ風味増しているようだ」とある。
その後、ぽつりぽつりと店に行っている。
1月28日。「おれにとって可もなく不可もなく、というようになってしまった気がする。」
4月16日。「今日は好印象。復活か?」
そしてある日。
初めの頃の色々な食材の滋味が溶け出したじんわりとした味わいとは違っているけれど、
クリアな味わいですっきりとしている。後味も美味しい。
「やりたいこと」と「やらなければいけないこと」の折り合うところを見つけたのだと思った
(すいません、昔から態度がエラそうなのです…汗)。
親父さんは、きっと一人で工夫や試行錯誤を重ねて味を作り上げたのだろう。
そしてそこに(おれはまだ自分で切り開いているとは言えない)人間の人生を感じたのでした。
それから何年経った頃か、その場所を通ったときその店はなくなっていた。
都電荒川線の新庚申塚駅のそば、「天てこ舞」というお店でした。
今ググってもヒットしないので親父さんがどうしているのかも全くわかりません。
一人の若造にいろんなことを感じさせてくれた、
そして何よりもまず美味しいラーメンを食べさせてくれたお店でした。
ラーメンの歌と人生の歌と迷いました…。
矢野顕子のカヴァーです。
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この梅雨寒にふと、天てこ舞のラーメンが恋しく思い出され検索しました。
私も20年ほど前は学生で、西ヶ原4丁目に住んでおりました。
天てこ舞は冬の寒い夜、新庚申塚の近所に住む先輩に連れて行ってもらったのが最初でした。
カツオの良い風味に感激した記憶があります。
なんというか、滋味ってこういうのを言うんだろうな、という感想を抱いたのを覚えています。
私はそれから数回いただいたかな、という程度でしたが、今でもたまに思い出します。
おじさんのメガネ(たぶん)とかテレビとか片隅の雑誌とか、とても綺麗に保たれた店内とか。
食べたいですねえ あの味をもう一度。
どこか似たお店がないものでしょうか?
はじめまして。コメントありがとうございます!
そして天てこ舞のことを話せる方がいて
うれしいです。
検索しても本当に何もヒットしないので…。
近くには萬来軒というお店もあって
そちらもおいしかったんですが
個人的には天てこ舞が好きでした。
美味しかったですよね。
数回しか食べていないのに思い出すっていうのも
すごいと思います。
派手な味でもないラーメンなのに、という意味でも、
それを記憶しているねずみさんも。
そうそう、親父さん確かにメガネかけてましたよ^ ^
ところでもしや学校同じかもですね。
今は西ヶ原から移転した学校ではないでしょうか?
こんなブログなんですけど
時々覗いていただけたらウレシイです。
結局卒業していないものの巣鴨界隈から離れがたく、
割と最近まで駅の南側に棲みついてました。
巣鴨を引き払う直前、これが最後かと下瀬坂のあたりを
プラプラ見に行ったのですが、もうぜんぜん別の空間でしたね。
地蔵のときわ食堂はリニューアルに伴っていつしかメニューが少なくなり、値段が上がり、味が落ち、だけどやっぱり若き日の胃袋を満たしてくれた名店には愛着がありますよね。
天てこ舞も然り、です。
決して美味しくなかったけど、生協2階の行列スパゲッティも無性に恋しく思い出されます。
ミートソースよりスープスパ派でした。
レジの兄貴みたいなおねーちゃんはお元気かしら。
やはり同じでしたか^ ^
跡地はマンションになったみたいですね。
もう10年以上行ってないかな…。
周りも変わってしまったんですね。。。
ときわ食堂!懐かしいです!
ご飯少な目にしてもらってたなあ。
地蔵通りの中ほどのたい焼き屋さんとか
ファイト餃子、大塚駅寄りのビルマ料理屋…。
よく行ったお店が思い出されます。
もちろんフェアリーハウスも^ ^
あと庚申塚駅近くの激安とんかつ屋さん。
おばあさん、事件に巻き込まれてしまったんですよね…。
生協のパスタはおろしツナのを食べたなー。
懐かしいです。
レジのお姉さんは覚えてないんですけど、
同級生だったワイフは覚えてました^ ^
ちなみに自分は…「アンニョンハセヨ〜」
の科でした。
東欧革命で俄然ブームになって新設された語科に入りました。略称はPLでしたっけ。
だけどあまりの語学センスのなさに休学を繰り返し、あげく中退という、人生で初にして最大の挫折を味わったものです、あの界隈では。
奥様が同級生ということは、今でいうリア充だったのですね。なんと羨ましい!
西ヶ原4丁目と滝野川1丁目の中間という、お岩通りとも折戸通りとも若干距離のある場所に暮らしていたもので、外食は専ら西ヶ原銀座とかチェルナード染井でした。もしくは生協(笑)。
そしてそうです、おろしツナです!それそれ!スープスパだと勘違いしてました!
府中の学食にもあるんでしょうかね。
もしあるなら食べに行きたいものです。セイシュンと挫折の味を。
東欧系だったんですね〜。
PLじゃないですけど、千野先生とかすでに大物
だった人も東欧にはいましたし、
教える側にも特別な気合とか入ってたんでしょうね。
新設ならではの大変さもあったんじゃないんでしょうか。
自分もリア充って感じじゃなかったですよ^ ^;
なんかいつも不発弾みたいな気分でした。
…まあ今もですけども(大汗
滝野川1丁目の方とすると
ちょっと庚申塚方面は遠いですよね。
西ヶ原銀座、チェルナード染井…
うー、ちょっと記憶が薄いです…。
府中、自分もまだ行ってないんです。
さぼうるとか床屋のセビリアとか、
今でもあるのかなー。
確かめに行ってみたいですね。
…巣鴨近辺ともども^ ^